韓国軍慰安婦

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韓国軍慰安婦(洋公主/ヤンコンジュ)


韓国軍慰安婦または大韓民国軍慰安婦(Korean Military Comfort Women)とは、韓国軍と在韓米軍や国連軍を相手にした慰安婦。
朝鮮戦争やベトナム戦争では韓国はアメリカ合衆国を基盤とした連合軍に参加したため、韓国で設置された慰安所および慰安婦(特殊慰安隊)は韓国軍だけでなく米軍をはじめとする国連軍も利用した。

名称

国連軍を相手とする慰安婦の登録が1961年9月13日に実施された。韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』には「固定式慰安所-特殊慰安隊」とあり、
朝鮮戦争中は「特殊慰安隊」または「第5種補給品」とも呼ばれた。朝鮮戦争後は「美軍慰安婦(美軍はアメリカ軍のこと)」「国連軍相対慰安婦(UN軍相對慰安婦)」と呼ばれた。

ほかに蔑称の意味合いもある「洋パン(ヤン・セクシ)」「洋公主(ヤンコンジュ、ヤンカルボ)」、また毛布一枚で米軍基地について回るという意味で「毛布部隊」、ベトナム戦争時は「ディズニーランド」とも呼ばれた。
また米兵を相手にするフィリピン人慰安婦を「ヤンキー売春婦」「コメで動くチビ茶色のファッキンマシーン」などとする蔑称もある。
ほかにジューシーガール(juicy girls)、バーガール(bar girls)、ホステス(hostesses)、エンターテナー(entertainer)という言い方もされる。「挺身隊」・国軍挺身隊とも呼ばれた。

これらの英語表記はcomfort womanであり、日本語の慰安婦の英訳と同一である。英語では韓国軍・在韓米軍慰安婦は一般にKorean Military Comfort Womenと表記される。
もっとも朝鮮戦争やベトナム戦争におけるこの種の行為について韓国内では全く議論になっていないため、韓国最大手の新聞朝鮮日報でも「人の心を持った国なら、自国民を国営売春婦にするという発想はしない。」との記事を執筆するレベルの認識にとどまっている。


朴正煕が作った赤線地帯


父 朴正煕 の罪を無かったことにして日本に集り続ける
朴槿恵 現職大統領のダブルスタンダードの方が隣国として恥ずかしい

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【朴正煕が作った赤線地帯】

1950年に朝鮮戦争が始まると、駐留米軍の急増にあわせて洋公主も膨れ上がった。
記録によれば、激戦中の51年に釜山だけで慰安所の新設は74件にのぼっている。

洋公主の“活躍”は、朝鮮戦争が休戦しても終わらなかった。駐留兵士向け性産業が拡大する中、米軍は性病の蔓延に悩み始める。1957年にはOEC(米経済調整官室)も参加し、政府間協議が行なわれた。

米側の申し出によって南鮮政府は、社会保健部直轄の性病診察所を基地周辺に47ヵ所設置。洋公主を一定のエリアに隔離するなど国家による統制・管理を進めた。

米軍基地周辺の性病診察所付き隔離エリアは「基地村」と呼ばれ、東豆川やソウルに近い議政府(ウィジョンブ)は、急速に繁栄した。議政府は2002年に米兵の装甲車ひき逃げ惨事が起きた場所だ。

そして1961年、軍事クーデターで李承晩を追放した朴正煕は「基地村」の本格的な整備に乗り出した。
朴正煕が制定した観光事業振興法は、ドルを稼ぐ洋公主を公式に認めるものだった。

この観光振興法は、売春を禁じた「淪落行為防止法」に抜け道をつくり、いわゆる「赤線地帯」に法的根拠を与えたのである。朴正煕は梨泰院(イテウォン)など全国36ヵ所の基地村を赤線地帯に指定した。

朴正煕は、セマウル(新しい村)運動の提唱で知られるが、それ以前に売春村を開発してたいたのだ。
64年には米軍向け施設の売り上げは、900万ドルを超え、国家の外貨収入の10%に及んだという。

また70年代になると京畿地方だけで年間800万ドルの外貨が洋公主の収入になったという
京畿道観光運輸課の公式調査も存在する。基地村は、南鮮経済を支える巨大売春産業であったのだ。

朴正煕は70年代に基地村浄化運動に取り組んだとされる。しかし、それは性病検査を徹底し、行政組織が洋公主の英会話教室を開くなど、性産業の発展に寄与するものだった。

朝鮮の伝統産業をシステム化した中興の祖が朴正煕である。この偉大な父親の“功績”を無視し、捏造慰安婦問題で我が国に因縁を付ける資格など、パククネにはないのだ。



  • 最終更新:2014-06-23 02:41:03

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