在日韓国人

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朝鮮民族の大量移入

(資料は、同じく「関東大震災 朝鮮人虐殺の真相」より)

在日朝鮮人の人口推移

明治42年 790人
大正4年 3989人
大正5年 5638人
大正6年 1万1501人
大正7年 2万2262人
大正8年 2万8272人
大正9年 3万175人
大正10年 3万5876人
大正11年 5万9865人
大正12年 8万617人

大正13年 12万238人
大正14年 13万710人
大正15年 15万8503人
昭和2年 17万5911人
昭和16年 146万9230人
昭和19年 193万8413人
(但し、密航者や住所不定者もいることを考えると、これよりは多い可能性が大)


ほぼ全ての在日が密入国犯罪者である事実を報道せよ



在日問題を扱うときに、99%以上の在日が密入国犯罪者とその子孫である事実に反して、ほとんどの在日が連行された被害者であるかのような誤解を招く表現で記事を書くマスコミには、良識の欠片も無いのでしょうか?

1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸は昭和16~19年の間は1万4514人。
「国民 徴用令」による徴集は19年の9月以降の僅か4ヵ月間であるから、単純に計算しても、この期間に徴用された者は16~19年間の1万4514人の12分の1、つまり1210人ほどにすぎない。「昭和20年9月1日以前」は679名であり、それを加えた概算1889人ほどが、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になる。仮に「官あっせん」を徴用の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月~19年8月の来日者の推計数を全部加えても約1万1300人ほどである。従って、昭和20年8月終戦当時の 在日朝鮮人の全人口が約210万人ほどであったから、何れにしても当時の在日全体の僅か0.5%以下にしかすぎない事になる。


<ご参考:「これでは困る韓国」呉善花、崔吉城 1997 より>

呉「在日の人たちにしても、植民地時代も自分の意志で積極的にきた人のほうが
  ずっと多いんじゃないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰っ
  てしまったわけですから。」
崔「そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、
  そうであるにもかかわらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。
  自分も植民地のときに強制的につれてこられたのだと、これはアイデンティティ
  としてそうなってしまっているんです。」
呉「なるほど、意識と実際は違うということですね。」
崔「実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、
  そういう物語をつくってそれを自分の意識としてもつんです。
  ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大きなポイントです。
  (中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。」
呉「なんのために教えるんですか」
崔「民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。」



戦後、在日韓国・朝鮮人は何をし、何と言ったか


現在の総聯の前身団体である「在日朝鮮人連盟」指導部は
1946年初頭と推定されるが

「われわれは今まで、搾取と奴隷的な差別待遇を受けた。
日本の敗戦で開放された現在、われわれは連合国人であるから、
敗戦国日本の法令に従う義務はない」

「われわれは二等国民で、日本国民は四等国民となった。
したがってわれわれは日本国民より優遇されるのは当然であることを、
あらゆる方法で日本人に知らせなければならない」

「戦争中われわれを虐待した日本人は、戦犯として制裁を
加えなければならない」(坪井汕二『在日朝鮮人運動の概況』)
と在日朝鮮人を「連合国人」と勝手に位置づけ、
日本の法令に従う必要のないことを公然と主張し、その通り実行した。

 1945年9月10日に結成された在日朝鮮人連盟(以下「朝連」と略す)
中央準備会は、すぐ「帰国同胞援助」活動に入り、
朝連が韓国などに帰国する在日朝鮮人に「帰国証明」を発行、
列車・バスの無賃乗車、時には客車の中に「朝鮮人専用」と書き、
日本人を乗車させないこともあった。
駅長を脅かし、発車した列車を呼び戻したりもした。

 このように主張し、行動した人達が、今になって
「日本国籍を失ったのは自分たちの意志ではなかった」とか、
「地方公務員に採用しないのは民族差別だ」、
「地方参政権を与えろ」と要求している厚かましさには、
あきれてものが言えません。


資料



  • 最終更新:2014-07-19 16:56:58

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